「国体」から「国スポ」へ

「国体」から「国スポ」へ

本年、「かごしま国体」が開催されましたが、これが最後の「国体」となります。なぜなら来年から「国スポ」となるからです。

2018年、「国民体育大会」の名称を「国民スポーツ大会」に変更する「改正スポーツ基本法」が成立しました。

2024年、佐賀県で開催される大会は、「国民体育大会」の名称が「国民スポーツ大会」に変わる最初の大会となります。

変更の理由は、「スポーツ」の価値を世界の人々と分かち合い、「スポーツ」を通じた社会変革に向け世界各国と協調していくために世界で広く用いられている「スポーツ」の語を用いるためだそうです。

「国体」は、第1回が1946年に開催され約80年の長い歴史があります。これは有名な出来事ですが、1957年の「静岡国体」で、日本国籍を有しないとの理由で、出場できなかった選手がいました。

その選手は、同年、高校野球選抜大会で優勝した早稲田実業高校のエース王貞治選手、あの世界のホームラン王です。

王さんは、日本で生まれ、日本の学校で教育を受けているにも関わらず、台湾国籍のため出場が叶わなかったのです。

当時高校生の王さんの心中はどうであったのでしょうか?

それから20年以上経過した1981年「びわ湖国体」で、国体史上初の外国籍選手として出場したのが、高校サッカーに出場した、父親がフランス人の宮澤ミシェルさん(現:サッカー解説者)です。

 現在は、永住者や日本の学校に一定期間在籍していれば、日本国籍を有しなくても「国体」への出場資格はあります。

そして、多くのスポーツにおいて、今やナショナルチームには、親が外国人や、留学し日本の学校に在籍し、卒業した人、様々なルーツを持った選手が日本代表として活躍しています。

「国スポ」への変更を機に、性別、国籍など、誰もが多様性を認め合う社会になればと願います。

 

フード連合 会長 伊藤 敏行